MENU

【CK3】ブリアン家の略歴 ~アイルランドのブリアン家ロールプレイ用2

目次

ブリアン家の始祖ブライアン・ボルまで

こちらの記事に、ブリアン家の創始者ブライアン・ボルとその兄についてまとめております。

ドナハ・ブリアン ~ブライアン・ボルの息子

1014年クロンターフの戦いでブライアン・ボルとその息子達が死亡してしました。生き残ったブライアン・ボルの息子は、ドナハ・ブリアンとその異母兄タイグ・ブリアンと言われています。

アイルランド上王の称号は、前アイルランド上王のモール・セックネールが死亡する1022年まで引き継ぎました。

一方で、ブリアン家の地盤であるマンスター地方の王位(King of Munster)は1014年~1025年にDúngal Hua Donnchada(オーワナフト家:6/7世紀から10世紀頃までマンスター地方を支配していた王朝。ブライアン・ボルの兄マスマガンが一度打破したはずだが、何故一度マンスター王を引き継いだのかは不明)が引き継いだ後、ブリアン家の創始者ブライアン・ボルの息子のドナハが1025年から1064年まで継承することになりました。(下画像:CK3の家系図で、赤丸の人物)

ブリアン家_ドナハ

実際のところ、ブライアン・ボルの死後はドナハがマンスター地方では権力を握っていたのだと推測されます。

ドナハの異母兄であるタイグはマンスター地方の王位を要求し、レンスター地方の王と共謀したため、ドナハによって1023年に暗殺されたと書かれている書物が存在します。(CK3では、タイグは1023年に原因不明の死を遂げている)

そして、ドナハは1050年代からレンスター王とコナハト王の攻撃に苦しみました。この攻撃の背景に、ドナハが暗殺したタイグの息子トゥールロホが関与していることが指摘されている当時の文書も存在しているようです。

1052年、トゥールロホはコナハト地方の王と共にマンスター地方北部のソーモンド周辺を襲撃し、1055年にドナハの息子ムルハダを打ち負かしました。(Ck3では、1068年時点でトゥールロホはムルハダの配下ですが、実は敵だったようです)その後、ドナハはリムリックから追い出されました。

1060年、ドナハはコナハト地方の王に服従し、コナハト・レンスターから攻撃されることを防ごうとしました。

1061年、この試みは失敗しコナハト地方の王にまたも侵攻されました。このとき、キラローの要塞が破壊されてしまいました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次