【CK3】十字軍遠征の略歴1 ~ロールプレイ用

Crusader KingsⅢにおいて十字軍遠征を行うイベントが発生しますが、その時に今プレイしている国家でどの程度協力するのか?(全兵力を派遣して積極的に支援するのか、一応参加はするが常備軍のみの派遣にするのか、参加を断るのかなど)のロールプレイの助けになればと思い、十字軍遠征について調べました。

特定の宗派・主義などを主張・糾弾することが目的の記事ではございません。

十字軍遠征が起きるまで

989年のシャル―教会会議と1027年のフランス南部における諸侯の内戦の休戦会議をキリスト教会が主導することによって、教会で働く人々や農民への攻撃禁止と”神の休戦”として知られる日曜日やキリスト教の祝祭日での戦闘行為を禁止する休戦が実施されました。

加えて、1076年からは”叙任権闘争”が起こりました。これは、ローマ教皇が神聖ローマ帝国の皇帝(Holy Roman Emperor)との間で司教の任命権などを巡って争った闘争でした。結果的に教皇が神聖ローマ帝国皇帝に勝利したことによって、キリスト教世界の平和を実現する権力者が神聖ローマ帝国皇帝から教皇に移ることになりました。

この教会主導による休戦協定や叙任権闘争によって教会・教皇の権力の増大や、キリスト教諸侯間での戦闘ではなくキリスト教の敵に対する聖戦へ発展する下地が形成されました。

第一回十字軍遠征(1096~1099年)

1095年にクレルモン教会会議として知られる教会会議が開かれ、叙任権が教会に属することや離婚問題を起こしたフランス国王フィリップ一世の破門などが取り決められた後、会議終了後に教皇ウルバヌス二世が演説を行って、キリスト教圏外への攻撃である十字軍遠征が呼びかけられ、第一回十字軍遠征が始まりました。

従軍した軍勢は、騎士1万5千人を含む約13万人だと言われています。

この第一回十字軍遠征は、大きく分けて正規十字軍とこれに先んじて出立した民衆十字軍とに分けれらます。

民衆十字軍は、ドイツのラインラント(HoI4プレイヤーお馴染みの)地方の伯爵を中心としたドイツ民衆十字軍とアミアン出身の修隠士ピエールなどに率いられたフランス民衆十字軍とに分けられます。

民衆軍は略奪を目的として集った人も多くいたためか、ドイツ民衆十字軍はライン川沿いのユダヤ人を虐殺し、ハンガリー領内では略奪行為を行ったためにハンガリー王国軍に壊滅させられます。

フランス民衆十字軍は1096年10月にコンスタンティノープルに到達しますが、小アジア(現在のトルコ周辺)でセルジューク朝に攻撃され壊滅してしまいます。

一方の正規十字軍は3つのグループに分けられます。

一つ目は、教皇から直接任命されたフランス中南部のトゥールーズ伯などの軍勢です。

二つ目は、フランス北部の軍勢です。これには、後のエルサレム王国の支配者になる下ロレーヌ公ゴドフロワ・ド・ブイヨンとその兄弟、フランドル伯、ノルマンディー公などが中核となっていました。

CK3 1066年 後のエルサレム王国の統治者ゴドフロワ(6歳)

三つ目は、イスラム勢力からイタリア南部を奪取したイタリア南部の軍勢です。

これらの正規十字軍とフランス民衆十字軍の一部がコンスタンティノープルに集結し、ビザンツ皇帝アレクシオスと旧ビザンツ帝国領が十字軍遠征によって回復された場合はビザンツ帝国へ返還する約束と引き換えに十字軍への物資の補給を取り付けました。

その後、十字軍はセルジューク朝軍を退けながらイコニウム、マラシュへと東へ進撃しました。

ここから、十字軍は二手に軍を分けて進撃することになりました。

第一回十字軍遠征軍のルート ©Gabr-el , CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons

東のエデッサへ進撃した分隊にの指揮官は、下ロレーヌ公ゴドフロワの弟であるボードゥアン・ド・ブーローニュでした。ボードゥアンは現地の支配者の娘との婚姻を通じて養子となったのち、最終的に初の十字軍国家であるエデッサ伯国の支配者となりました。

一方で南に進撃した十字軍本隊は、アンティオキアを包囲します。

1098年にアンティオキアを陥落させますが、現イラク北部のモースルから大軍がアンティオキアを取り戻すために反撃しにきたため、一転して十字軍が包囲されてしまいます。

窮地に立たされた十字軍でしたが、修道士にして兵士のピエール・バルテミーが聖槍(ロンギヌスの槍:十字架に磔にされたキリストを刺したとされる槍)を発見したため、信仰の力を得て士気が上昇した十字軍が包囲軍に対して打って出て勝利します。

この勝利によって、第二の十字軍国家アンティオキア侯国が誕生します。しかし、このアンティオキア侯国は旧ビザンツ帝国領であったため、旧ビザンツ帝国領を回復した場合はビザンツ帝国へ領土を返還するという約束が破られたことになり、ビザンツ帝国と十字軍の決別を意味しました。

続いて1099年に十字軍はエルサレムを目指しますが、その勢力は騎士が1300人、歩兵が1万人と十字軍遠征当初と比べ大幅に減っていました。しかし、新たに派遣されたピサ大司教率いる大艦隊やジェノヴァ・イングランドの艦隊の支援の下攻城兵器を完成させたこともあり、エルサレム市内へ侵攻することに成功しました。ここで酷い略奪がされてきたと強調されがちですが、実際は度を越したものではなく当時行われていた普通の侵略行為に過ぎなかったのではないかと考えられています。

そして、エルサレム王国の統治者として下ロレーヌ公ゴドフロワとトゥールーズ伯レーモンの二人が候補として挙がり、十字軍の選挙によって下ロレーヌ公ゴドフロワがエルサレム王国の統治者となり、第三の十字軍国家が誕生しました。

選挙に敗れたトゥールーズ伯レーモンはこの後にビザンツ帝国を頼ってアンティオキアとエルサレム王国の間にあるトリポリを攻撃し、レーモン死去後に彼の息子アルフォンス一世によって第四の十字軍国家トリポリ伯国が誕生しました。

1135年(第一回と第二回十字軍遠征の間)の十字軍国家 ©MapMaster, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons (薄黄色:エデッサ伯国、 青:アンティオキア侯国、 白:エルサレム王国、 赤:トリポリ伯国)

第一回十字軍遠征は当初の目的を達成しましたが、ヨーロッパ中の騎士が参加したわけではなくこれから続く一連の十字軍遠征に参加したのはヨーロッパ内の1~2割の騎士に過ぎませんでした。

他方、十字軍遠征に積極的に参加する騎士の家系は十字軍家系と呼ばれるまでに至る家系も現れ、十字軍遠征において多大な貢献をすることになりました。


長くなってしまいましたが、CK3のロールプレイ的に考えるとフランス・ドイツ・イタリアあたりでは民衆・諸侯共に十字軍遠征への熱量が非常に高かったと思われます。イングランドも艦隊を派遣し支援を行っています。

しかし、ヨーロッパ中の騎士が十字軍に積極的だったわけではなく、積極的な家系もあればそうでない家系もありました。

こうしたことから、自分のプレイする家系は十字軍への関与は消極的だけれども、十字軍に積極的に参加する騎士家系や分家を作って、その家系の騎士たちを十字軍遠征時の指揮官や騎士に多く配置するなどといったロールプレイができるのかなと思いました。


長くなったので、第二回十字軍遠征以降は別記事にしたいと思います。

参考文献

”図説 十字軍” 櫻井康人 2019年

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